例題1-1) 高すぎる金利には、どのような問題点が考えられるか

金利が高すぎれば、お金を借りたいひとは現れません。

お金を貸したいひとは、借りたいひとの現れる水準まで、金利を引き下げる必要があります。でなければ、借金は成立しません。さまざまな場面で、何らかの理由により高すぎる金利が提示され、お金を借りたいひとが現れず、社会全体の借金が減ったとすれば、社会全体の貸借対照表は小さくなります。そのような状況では、資金は有効には活用されず、経済活動の規模は縮小へと向かうことになります。

もちろん、資金の需要と供給が互いの接点を探る場面では、貸し手と借り手の双方が金利について、時間の価格とリスク割り増しについて評価を行います。リスクに関する知識や情報の不足、人間の判断の不安定性は、その綱引きに影響を与える場合があります。高金利での貸し出しについて、法律で制限されている場合があるのは、こういった理由によります。切迫した状況で、冷静な判断ができないまま契約することは、望ましくありません。また、あまりにも大きなリスク割り増しは、評価が難しい場合があります。借り手の大半がその後に破綻してしまうようなケースでは、さまざまなリスクが、例えば「契約の履行を期待できないリスク」のような不安定なものさえ、そこに折り重なっています。リスク評価のための土台すら脆弱な状況では、行動は慎重にならざるを得ません。

とはいえ、貸し出すことが商売の銀行は、貸し出しが減ってしまえば、より低い金利をつけざるを得なくなります。したがって時間の価格としての金利は、このとき全体としては、自ずからバランスされる構造になっています。

では、金利が低すぎる場合には、どのような問題点が考えられるでしょうか。

金利が低すぎれば、お金を貸したいひとは現れません。貸し出すことが商売の銀行は、低すぎる金利をつけることはありません。借りたい需要が殺到しているのなら、金利を引き上げることで利益になるからです。もちろん、同時に預金を増やす必要もあります。

中央銀行が誘導しようとする無リスクの金利が、社会に流れる時間の価格と比較して、低すぎる場合にはどうでしょうか。

その低い金利で、政府や中央銀行がじゃんじゃん貸してくれるのなら、そうでない場合と比べて、さまざまな商売が利益を生み出すように見えるはずです。そうなれば資金は動き、相対的に貸し出しは増えるでしょう。社会全体の貸借対照表は大きくなり、リスクのある投資も促され、経済の活動を拡大へと向かわせます。

一方で貸し出しが増えれば、これに対応する資金をつくるためには、より高い金利で調達する必要に迫られるはずです。異なる市場から調達するとしても、また未来から調達するとしても、その金利差は財務を圧迫します。つまり、そのようなプログラムを永遠に継続することは困難です。

打ち出の小槌はありません。金利を動かすのは、時間の価格を決めるのは、ほしいものをつくり出そうとする、われわれの経済活動なのです。
posted by equilibrium at 2002-01-01 | [草稿]例題

例題1-2) どのような条件下で、金利はマイナスになり得るか

銀行が金利をマイナスにしようものなら、預金をすべて引き出したくなります。お札や硬貨を金庫に入れておけば、その額面が減ることはないのですから。だとすれば、金利はマイナスにはなり得ないように思われます。細かく考えてみると、金庫を置いておくための場所だとか、盗難防止策だとかに、いくらか費用がかかりますから、その費用に相当する程度の、若干のマイナスの金利であれば、許容される場合もあるかもしれません。

そもそも貨幣が存在していない場合にはどうでしょうか。皆が財布を持たずに、すべての買い物にはクレジットカードや携帯電話の電子マネーを使う。振り込まれる給料はもちろん、すべてのお金は常に銀行口座の中にあって、どこにも逃げられないような状況です。これなら、マイナスの金利もあり得るような気もします。

そのようにして実現したマイナスの金利には、どのような意味があるでしょうか。時間の価格としての金利が、マイナスになるとは?

デフレーションのとき、つまりインフレ率がマイナスのとき、その意味を考えることができる場合がありそうです。預金の減っていく速度よりも、物価の下がる速度の方が速ければ、時間の経過とともに預金の購買力は増えています。つまりそのとき、実質金利はプラスです。時間の価格はマイナスでも、時間の価値はマイナスになっていません。

では、時間の価値までもがマイナスになる可能性は?

「機会費用」という言葉があります。前向きに何かをつくろうとすれば、「機会」は常に貴重なものですが、これを測る中立な尺度のひとつは時間でしょう。そのとき「費用」を表現するものが、実質金利です。人類の全体が総じて機会を無駄にすること、ほしいものを何も生み出さず、機会費用がマイナスになること。寝ている方がずっとマシ。そんな状況を具体的に想像することなど、到底できません。
posted by equilibrium at 2002-01-02 | [草稿]例題

例題1-3) 通貨によって金利が異なるのは、どのような構造的背景によるか

つまり時間の価格が、通貨によって異なることになります。

通貨や国家は、大まかには地域ごとに存在しています。互いに遠く離れたふたつの土地が、同じ通貨を用いている例は稀です。だとすれば通貨とその金利は、時間の価格を地域ごとに評価していると考えてもよいかもしれません。隣接した地域では、人や物資、資金の移動が容易ですから、流れている時間は同じと考えているわけです。

時間に価格をつける地域の区分けは、大きいほうがよいのか、小さいほうがよいのか、という疑問が自然に浮かんできます。区分けが小さければ、よりきめ細かに、時間に価格をつけることが可能です。よりきめ細かに価格がついていれば、それが大雑把な場合と比べて、域内での経済活動はより円滑に行われるはずです。

とはいえ、異なる通貨を用いている地域を跨いで取引しようとすれば、そのコストは、両地域が同一の通貨を用いていた場合と比べて、より大きなものになってしまいます。常に為替がついて回るからです。物の価格を考えるのに、相手通貨での価格と為替レートの両方に着目する必要がありますし、実際の取引には為替にかかる面倒がついて回ります。ですので、どちらがより大きな視点で効率を高めるのか、難しい判断です。

一般論としては、先に挙げた人材や物資、資金の流動性が高まるほど、地域による時間の価格の差は減少するはずです。1999年に誕生したユーロは、通貨の統合と域内の流動性を高める政策の、注目すべき実例です。
posted by equilibrium at 2002-01-03 | [草稿]例題

例題2-1) 一般に、金利はインフレ率よりも大きいといえるか

パンを1個買うことのできる購買力は、大きな銀行に預けておくことで、次の瞬間にはパンを(1+金利)/(1+インフレ率)個買える購買力になります。これが実質金利で、時間の価格をインフレ率で割り引くことで、時間の価値を表現します。つまり、金利はインフレ率より大きいかという問いは、時間の価値は正であると考えてよいか、という問いに他なりません。

インフレーションが何によってもたらされるか、という難しい問いは横に置いておいても、皆が前向きにほしいものをつくり出そうとする社会では、時間の価値が負であるような状況、時間なんて無い方がいいんだという絶望的な状況など、到底想像することができません。だとすれば一般的には、金利はインフレ率よりも大きいことを期待してよいということになります。

ところで、歴史的にはインフレ率が非常に大きくなってしまう「ハイパーインフレーション」と呼ばれる現象が、世界の各地で見られます。ほんのすこし時間が流れる間に、物の値段が何倍にもなってしまうような状況下では、ほとんどすべての取引にかかる契約が、不安定な状況に置かれざるを得ません。時間の価値は、取引によって需要と供給が継続的に均衡することによって評価されますから、そのような危機的状況下で政治が第一にすべきことは、安心して取引のできる環境を整えることです。
posted by equilibrium at 2002-02-01 | [草稿]例題

例題2-2) デフレーションは、どのような点で問題か

あらゆるものの価格が一様に下落すると、収入と支出は同時に小さくなります。両者がバランスしていれば、特に大きな問題はないようにも思われます。ところが実際にはおそらく、価格の変化は一様でない場合が多く、物によってラグが発生しがちです。相対価格に影響が及んだ場合、例えば自分の販売している商品のみが価格の下落圧力にさらされるようなとき、結果として収入と支出のバランスに影響を与えることがあります。

また、金利はマイナスにはならない点にも注意が必要です。金利がゼロの制約に張り付いた状態で物価が下落すれば、実質金利は大きくならざるを得ません。物価の急落によって実質金利が、実際に流れている時間の価値を上回らざるを得なくなったとき、資金の需要と供給にアンバランスを生じさせる可能性があります。金利がゼロでも、お金を借りたい人が現れないような状況です。

とはいえ借金して商売する立場で考えてみると、投げ売りに輪を掛けた投げ売りを続けることは、あまり簡単ではありません。預金する消費者の立場で考えてみると、いつまでも販売価格が急落を続けることは、あまり期待できそうにもありません。需要と供給の綱引きで決まる価格は、金利とセットになって、自ずから無理のない範囲を探らざるを得ません。

こうして実質金利は、流れている時間の価値に近づくことになります。物価の動向にかかわらず、投資と選別の実行を続けることが、実質的な貸借対照表の全体を拡大させ、分業と経済成長をつくり出すのです。
posted by equilibrium at 2002-02-02 | [草稿]例題

例題2-3) 将来の「お金の使い道」を割り引いた総合計は、何を意味するか

将来に出て行くお金を、時間(とリスク)の価格で割り引いたものが負債です。自分自身にかかるその総合計は、自分自身の負債合計です。そこには例えば、将来に食べるパンや将来にプレイするゴルフ料金、将来に孫にあげるお年玉も含まれているはずです。

もちろんそのすべては、現時点ではまだ確定していません。将来には、小麦粉やパンの値段は変わっているでしょうし、ゴルフは嫌いになっているかもしれません。孫に至ってはその人数さえ、まだ決まっていません。

将来の運命が刻一刻と変わっていると考えれば、将来に出て行くお金も刻一刻と変わっています。もちろん負債合計も、刻一刻と変わっています。「お金が足りない!」というような状況が来ることは回避し、なるべくハラハラせず安心して暮らしたいものですが、自分の負債を構成する要素について、よく考えて認識しておくよう努めることは、その対策を立てるために大切なことです。
posted by equilibrium at 2002-02-03 | [草稿]例題

例題3-1) 個人の貸借対照表の純資産の大きさを変化させる最大の要因は何か

人生で最大の買い物は、おそらく持ち家でしょうか。

現金で買うのでなく住宅ローンを組むのなら、これは購入した瞬間に資産と負債を同時に大きくします。しかし将来の純資産の大きさに与える影響は、あまり明らかではありません。「買うのと借りるのでは、どっちが得か?」という古典的な問いは、常に人々の頭に置かれながら、住宅市場では需要と供給が継続的に均衡しています。もちろん住宅を購入することによって、不動産価格の変動や地震など、将来の純資産を変動させる潜在的な要因は増加しますが、評価の出発点としては、おおよそ中立と考えるのが適切でしょう。

明らかに、より大きな影響を純資産に与えるであろう要因があります。収入を生み出し続ける自分自身、大きな金額の住宅ローンすら完済してしまう自分自身です。お金を生み出すものが資産だと考えれば、おそらく自分自身は、貸借対照表中で最も大きな資産であるはずです。

資産としての自分自身の大きさは、日々変化します。仕事を精力的にこなし、周囲に評価され出世が見えてくれば、将来に期待される収入は増加し、それらを割り引いた総合計としての資産は大きくなっていると考えられるでしょう。他方で、何らかの理由で例えば気持ちが失われてしまえば、逆に資産としての自分自身は、小さくなっていると評価せざるを得ません。転職すれば、将来像はさらに大きく変わるでしょうし、また何らかの事故によって仕事ができなくなってしまえば、やはり将来像は大きく変わらざるを得ません。

日々変化する自分自身は、個人の貸借対照表の純資産を大きく変化させるのです。
posted by equilibrium at 2002-03-01 | [草稿]例題

例題3-2) リスクの所在は、貸借対照表中のどこに確認できるか

確認できません。

とても疲れていたある日、帰りの運転中に誰かを怪我させてしまうリスクは、貸借対照表中には確認できません。保険によって、その賠償金支払いの一部が担保されるポジティブなリスクも、貸借対照表中には確認できません。突然に幸運の女神がやってきて、お年玉や金の斧をくれるリスクも、貸借対照表中には確認できません。先日手を出した先物取引の大きさも、貸借対照表中には確認できません。貸借対照表は資産や負債の大きさを表現しますが、それらを変化させるリスク要因やその大きさについて、必ずしも表現しません。

資産や負債に影響を与える可能性のあるリスクであっても、貸借対照表の記載から把握しやすいリスク、把握しにくいリスク、そこにはまったく見えないリスクがあります。リスクは何らかの別の形で、種類別に、また大きさの順に、まとめられるとよいでしょう。市場で取引されているリスクなら、価格にその一般的な評価が反映されていますが、そうでない「思いもよらないリスク」に思いを馳せることも大切です。
posted by equilibrium at 2002-03-02 | [草稿]例題

例題3-3) 資産と負債について、将来のすべてのキャッシュフローを現在価値に割り引くことで評価する、「理想的な」貸借対照表を想起してみよ

資産とは、将来に入ってくるお金を、時間(とリスク)の価格で割り引いたものだと考えます。例えば株式や債券なら、受け取る配当やクーポンと、売却する際に入ってくるお金の合計です。また自宅なら、その分払わずに済む家賃と、処分する際に入ってくるお金の合計です。自分自身なら、将来に稼ぎ出すお金の合計です。負債とは、将来に出て行くお金を、時間(とリスク)の価格で割り引いたものだと考えます。毎月の住宅ローンの返済を割り引いた合計も、衣食住に将来に渡って払い続けるお金を割り引いた合計も、どちらも負債です。

支払う「かもしれない」お金や、受け取る「かもしれない」お金があります。これらは可能性の大きさに応じて、資産や負債を構成すると考えてみます。明日「当たるかもしれない」宝くじは、当たる可能性と当選金額を掛け合わせたものを、一日分割り引いて資産と考えてみます。明後日に部下が「栄転するかもしれない」可能性と、お祝いに奢ってやる支払いを掛け合わせたものを、二日分割り引いて負債と考えてみます。

すべての未来、すべての可能性は、時々刻々と変化しています。すべての「理想的な」貸借対照表は、時々刻々と変化しています。
posted by equilibrium at 2002-03-03 | [草稿]例題

例題4-1) 貸借対照表の観点から、会社は誰のものか

「会社は誰のものか」という問いは、実はあいまいです。それだけでは「会社」が何を指し示すのか、「誰のもの」とはどういうことか、はっきりしません。所有と経営を分離することが、株式を発行して資金調達する仕組みの背景にある理念ですが、貸借対照表の観点からは、「会社が生み出す純資産の所有権は株主にある」と考えることが出発点になりましょう。ここでは経営者や労働者は、純資産を生み出す対価として報酬を受け取る構造です。

実際の行動に注目すれば、物やサービスをつくり、そして売ることで、会社は利益を生み出します。消費者は自分がほしいものにお金を払いますから、会社の利益は常に「ほしいものをつくり出した」対価として発生し、当然のことながら、常に顧客と直接の関わりを持つものです。「つくり出す」ことに投資しているのは株主で、それに従事しているのが経営者や労働者、物やサービスを享受しているのが消費者という関係ですが、どのひとつが欠けても、そもそも生産が成立しないという事実は自明です。多くのビジネスは常に多くの関係者を持ち、地域や文化、社会と密接に関わらざるを得ません。その存在は、社会的なものとならざるを得ません。

自宅が自分のものだからといって、好き勝手な色や模様で塗ってよくない場合があるように、純資産が株主のものだからといって、常に周囲と関係している生産活動を、好き勝手に左右してよいものではありません。もちろん、情報の公開と関係各者の行動を通じて、多くのひとの思いは会社の活動に影響を与えます。労働者にやさしくない企業や反社会的な企業は、消費者に「あそこの商品は買いたくない」と思わせてしまうかもしれません。労働者は、よりよい環境を求めて転職してしまうかもしれませんし、投資家は「こんなビジネスに金を出したくない」と、株式を手放してしまうかもしれません。その意味で会社は構造的に、関係各者によって制御されています。
posted by equilibrium at 2002-04-01 | [草稿]例題

例題4-2) 世の中全体の貸借対照表の観点から、会社は誰のものか

世の中の貸借対照表を「全部足すこと」を考えてみます。投資する側の債券や株式といったリスク資産と、それに対応する投資される側の負債または純資産を次々と互いに打ち消してみると、唯一の大きな貸借対照表の中では、投資されたお金は利益を生み出す資産へと変換されていることがわかります。ここではそれぞれの会社は、単に生産活動の単位を示しているに過ぎません。つまり、世の中全体の貸借対照表の観点からは、「会社は誰のものか」という問いの持つ意味は希薄です。

個々の生産活動にかかる純資産の所有権は、それぞれの株主にありますが、投資家はさまざまな投資を行っており、またそれぞれの会社は多くの株主を持っており、つまり「皆が皆に投資をしている」ような状況になっています。株式が小口化され、誰もが容易に投資を行うことができるような社会では、誰もが資本家であり、かつ労働者である状態は極めて普通のことです。もちろん同時に、誰もが消費者でもあるわけです。このとき世の中全体の貸借対照表の観点からは、その純資産は皆が増やし、その所有権は皆がすこしずつ持っていることになります。

経済が成長することとは、つまり皆がほしいものを皆でつくり出すことですが、この構造の中では資本家として、また労働者として、そして消費者として積極的に選別を行うことが、その舵取りに重要な役割を果たします。また、そのために多くの情報が公開され、さまざまな選別の場面で高い流動性が確保されることは大切です。
posted by equilibrium at 2002-04-02 | [草稿]例題

例題4-3) 個々の貸借対照表の主体が、利己的に行動した結果としての、世の中全体の貸借対照表を想起してみよ

投資家は自分の純資産を増やしたいと思い、そのためにリスクのある債券や株式に投資をします。投資された会社は(対価として報酬を得るために)純資産を増やしたいと思い、そのために将来の利益をなるべく増やそう、また利益をより確実にしようと試みます。「ほしいものをつくり出す」ことに成功し利益が生まれれば、そのとき会社の純資産は増えており、また投資家の純資産も増えています。経営者や労働者としても、相応の報酬を手にしており、加えて、ほしいものがつくり出されているわけですから、もちろん消費者としても嬉しいに違いありません。そのとき世の中全体の純資産は、おそらく大きくなっています。

プロセスの内部では、さまざまな階層で利己的な選別が行われています。例えば投資家は、より投資の効率を高くするような株式や債券を選んで投資するでしょう。会社は、より消費者に好まれそうなものを、より高い効率でつくろうと試みるでしょう。労働者は、よりよい報酬と労働環境を探そうと試みるでしょう。消費者はもちろん、より安く素敵なものにお金を払おうとするでしょう。そういった「利己的な選別」は、社会の構成者に互いの努力と工夫を要求し、常に成長を促す動的な構造をつくっています。
posted by equilibrium at 2002-04-03 | [草稿]例題

例題5-1) プレミアムの存在しないリスクとは、どのようなものか

リスク・プレミアムの実現プロセスについて、具体的に考えてみます。例えばシンプルな「明日100円もらえる」という権利は、おそらく今日100円未満で取引されます。明日100円払う側の立場で考えてみれば、今日100円を受け取って明日100円を払えばよいのなら、一日分の利息は丸儲けですが、そんなにうまい話はありません。「私なら、今日受け取るのは95円でもいいですよ」と誰かが言い出すでしょう。少なくとも時間の価格は、つまり無リスク金利分は、権利の価格に反映され、割り引かなければならなくなります。

おそらくは、さらに割り引く必要が出てくるでしょう。明日100円受け取る側の立場で考えてみれば、今日95円を払って、一日分の利息5円を足してちょうど100円を受け取るのでは面白くありません。安心して預けられる近所の銀行に任せておけば、同じことだからです。未来のことは不確実なのですから、事故の可能性は否定できないのですから、権利の値段は、もうすこし安くなければ割に合いません。

明日100円もらえる権利を今日90円で買って、無事に一日が過ぎて、明日になって100円を受け取ることができたとき、無リスクの金利と、さらに上乗せされたリスク・プレミアムを享受することができています。このとき、一日経って100円を払った連中は一体何を考えていたのでしょうか。先に受け取った90円で、リスクをとって商売をしていたに違いありません。皆が欲しがる物やサービスをつくり出すことで、元手は200円にも300円にもすることができる、そう信じて努力していたに違いありません。だからこそ、リスク・プレミアムを払ってでも、90円を調達したのです。

リスク・プレミアムは、何もないところから、突然生まれてはきません。リスク・プレミアムを受け取るひとがいるとき、反対側にはリスク・プレミアムを払うひとがいます。

リスク・プレミアムを払うひとがいないリスクには、例えば博打があります。そもそも博打は不確実性を楽しむものです。丁半博打で、丁が出たら100円もらえる権利の値段は50円で、それ以下にはなりません。リスク・プレミアムを支払ってでも、45円で権利を売って資金を調達しようというひとは、そこにはいません。似たような内容なら、隣で売っている、半が出たら100円もらえる権利を、50円で買う方がよいからです。

エネルギーや農産物、貴金属といった商品には、リスク・プレミアムが存在するとは考えにくいでしょう。原油の価格は需給によって変動しますから、保有しておくことにはリスクがありますが、だからといって見返りを期待する理由はなさそうです。リスク・プレミアムを払ってでも原油を売りたいというひとは、いないからです。

不動産の場合には、やや趣が異なる側面もあるかもしれません。不動産は、生活のための場所であり、また生産のための場所でもあります。保有することにはリスクがありますから、見返りを払ってでも、保有せずに場所を借りて生産したいというひとはいるでしょう。他方で、生活のための場所を確保する安心のために、積極的に保有したいひともいます。ほとんどすべてのことに場所が必要であり、保有することのリスクはひとによって評価が異なりますから、互いにリスクを交換できる場合も多そうです。

通貨の交換レートにも、やや趣が異なる側面もあるかもしれません。ドルを買って円を売りたい側にも、ドルを売って円を買いたい側にも、通貨の交換には一般に、それぞれに目的が存在します。リスク・プレミアムを支払ってでも、ある通貨を売りたいという取引は存在するかもしれません。しかしながら同時に、リスク・プレミアムを支払ってでも、その通貨を買いたいという取引も存在するでしょう。なぜなら、他国通貨を買って自国通貨を売ることは、他国の相手からみれば、やはり他国通貨を買って自国通貨を売ることだからです。とはいえ、交換によって都合よく打ち消すことのできないリスクも、全体としていくらかは残るでしょう。

投資家にとっては、リスクは単体で捉えるものでなく、保有する複数のリスクを合わせて、全体として考えられるべきものです。だとすれば、他の多くのリスクを打ち消すような補完的なリスクは、受け取るプレミアムは小さくても、負担してよいと思えるはずです。他の多くのリスクと似たようなリスクは、相応のプレミアムを受け取れなければ、あまり負担したいとは思えないでしょう。誰が、なぜ、リスク・プレミアムを払う構造になっているのか。ものをつくる活動に必然的についてまわるリスクを、債券や株式のような形で切り離すこと、そのリスクを皆で広く負担し、その対価としてプレミアムを期待すること、これらは広義の分業とも考えられます。
posted by equilibrium at 2002-05-01 | [草稿]例題

例題5-2) リスク・プレミアムの大きさが変化する要因として、どのようなものがあり得るか

リスク・プレミアムはリスクの価格ですが、その水準は需要と供給で決まり、そして時間とともに変化します。リスクを負担してもよいと思うひとが増えれば、その対価としてのリスク・プレミアムは小さくなり、リスク資産の価格は上がります。リスクは負担したくないと思うひとが増えれば、その対価としてのリスク・プレミアムは大きくなり、リスク資産の価格は下がります。

どんなものでも、その評価は時に感情に左右されます。リスクをもっと負担してもよい、また負担したくない、というリスクに関する評価も、時に感情に左右される場合があるでしょう。他の要素が何も変わらなくても、単に皆が弱気になるだけで、リスク資産の価格は下落します。もちろん、ほしい物やサービスがしっかりとつくり出されているにもかかわらず、あまりにも皆が弱気になりすぎれば、どこかの段階で安くなったリスク資産の価格が魅力的に見えてくるはずです。その意味で、大きく見ればリスク・プレミアムの大きさは、自律的にバランスする構造になっています。

いわゆるバブルとは、皆が楽観的になりすぎた状況といえそうです。我々は、自分達のほしい物やサービスをしっかりとつくり出し続けている。だから、リスクはいくらでも負担しよう。そんな状況では、リスク・プレミアムは非常に小さくなっていくでしょう。リスク資産の価格がこうした状況下で継続的に上昇すれば、あまりリスクそのものについては考えずに、水族館で回遊するマグロのように、ただ他人の後ろについていく投資家が現れることがあります。このことによって価格の上昇はさらに過熱しますが、このとき先頭の誰かがハタと自分のとっているリスクとその評価を見つめ直したとき、バブルは崩壊へと向かうことになります。

いわゆる金融危機とは、皆が悲観的になりすぎた状況といえそうです。我々は、もはや何もつくり出すことはできない。むしろ状況を確実に悪化させている。人類は後退していくのみで、だからすべてのリスクに、プレミアムなどあるはずがないと。とはいえ自分の周囲を冷静に見渡せばわかるように、優秀なひとや役に立つひと、素敵なひとは、どこにでもいます。人類の全体がほしいものを見失う、なにもつくり出せなくなるなどというのは、あまり現実的でないと皆が気づいたとき、リスク資産の価格はとても安く見えるはずです。やはり回遊の先頭の誰かがハタと、皆が避けているリスクとその評価について見つめ直したとき、リスク資産の価格は上昇を始めるでしょう。

感情が「過剰に」価格に反映されるとき、投資家は生産とリスクについて、冷静に見つめることが大切です。
posted by equilibrium at 2002-05-02 | [草稿]例題

例題5-3) 時間の価格とリスクの価格には、どのような関係があるか

時間の価格は、時間の需要と供給を調節します。

時間の価格としての金利が小さくなれば、資金の貸し出しは増え、調達する側の貸借対照表を大きくします。時間の価格としての金利が大きくなれば、資金の貸し出しは減り、調達する側の貸借対照表を小さくします。

リスクの価格は、リスクの需要と供給を調節します。

資金がリスクのある資産に向くとき、世の中全体のチャレンジは増加しており、リスク・プレミアムは小さくなっています。資金がリスクのある資産から引き上げられるとき、世の中全体のチャレンジは減少しており、リスク・プレミアムは大きくなっています。

債券や株式への投資は一般に、時間の価格とリスクの価格を、つまり無リスク金利とこれに上乗せされるリスク・プレミアムを、同時にリターンとして享受します。投資することによって、資金を供給し、そして同時にチャレンジを増やします。

先物取引など、差金決済によるリスク資産の買い建てを行った場合には、リスク・プレミアムのみをリターンとして享受することになります。資金は動かさず、チャレンジのみを供給している状態です。
posted by equilibrium at 2002-05-03 | [草稿]例題

例題6-1) 「自分全体」のポートフォリオと「世界全体」のポートフォリオは、どのような関係にあるか

「自分全体」のポートフォリオは、もちろん世界中にたくさん、「自分」の数だけ存在しており、その総和が「世界全体」のポートフォリオです。

個々のポートフォリオを覗いてみれば、リスクの認識が互いに異なる場合があったり、またそれぞれが独自の見通しを持っていたりします。互いに交換できるリスクは交換し、それぞれが独自の見通しを表現し、つくられたすべてのポートフォリオの合計が世界全体であり、その構成比率を見れば、すべての「自分全体」のポートフォリオの平均像になっています。
posted by equilibrium at 2002-06-01 | [草稿]例題

例題6-2) 「投資対象となるリスク資産全体」と「資金調達の全体」は、どのような関係にあるか

株式や債券は、投資する側から見れば、貸借対照表の左側に記載するリスク資産であり、調達する側から見れば、貸借対照表の右側に記載する資金調達です。

中には為替や不動産といった、必ずしも反対側に調達が明示的に表現されない投資や、先物取引のように、資金の授受を伴わずリスク・プレミアムのみを取引するケースもありますが、世の中全体がほしいものをつくり出そうとする活動に必然的に伴うリスクを、経営者や労働者から分離し皆で負担する構造が、現代の資本主義の特徴です。
posted by equilibrium at 2002-06-02 | [草稿]例題

例題6-3) 「個々のリスクにかかるプレミアム」と「リスク資産全体のプレミアム」は、どのような関係にあるか

リスク資産は数多くありますが、リスク・プレミアムの大きさは、それぞれすべて異なります。単位リスクあたりのプレミアムが大きな資産もあれば、相対的にプレミアムが小さな資産もあります。個々のリスクにかかるプレミアムの大きさは、何によって決まるのでしょうか。必ずしもリスクの大きさには比例しません。例えば、丁半博打には大きなリスクがありますが、リスク・プレミアムはありません。

あるリスクにかかるプレミアムの大きさを評価しようとしたとき、実はそれ単体では評価を完結させることはできず、他のリスクとの関係を考えざるを得ません。誰もにとって大切なのは「自分全体」ですから、個々のリスクは常に、少なくとも「自分全体」の観点から捉え直して考える必要があります。

自分全体のポートフォリオと組み合わせることによって、リスクが減じられるような投資は、必ずしもリスク・プレミアムが期待できなくとも、実行する理由になります。一方で、それが「追加的な」リスクになる場合には、一般にプレミアムが期待できなくては投資する気になりません。これから興そうとする事業が、誰もにとって「追加的な」リスクであるとき、その反対側では、資金を調達する側はプレミアムを用意せざるを得ません。

「自分全体」の平均像としての、リスク資産全体の「市場ポートフォリオ」は、「追加的な」リスクの大きさを左右する第一の要因になります。つまり個々のリスクは、そしてその単位リスクあたりのプレミアムは、そのリスクが市場ポートフォリオにどのくらい似ているか、という観点からその大部分を評価できるはずです。

個々のリスクにかかるプレミアム = リスク資産全体のプレミアム x 個々のリスクとリスク資産全体との相関

ほしいものをつくり出そうとする我々の活動の全体は、どうやっても打ち消すことのできないリスク、誰も避けることのできないリスクを内包しています。唯一のリスク・プレミアムはそこに存在し、他のすべてのリスクはそれとの関係で評価されるというのが、CAPM(Capital Asset Pricing Model)の考え方です。

同じことをつくり出す側から表現すれば、世の中の全体と似ていない、新しい産業をつくり出そうとするときには、投資家に支払うプレミアムは小さくて済むわけです。その産業は、自分自身を含めた新しい世の中の全体を、以前よりも安定的に成長させるでしょう。一方で「事業ポートフォリオ」などと称して多角化を広げ、見かけ上の安定を生み出したとしても、そこに独自性がなければ、投資家にとっては市場ポートフォリオ以上の価値を見出せないとも言えることになります。
posted by equilibrium at 2002-06-03 | [草稿]例題

例題7-1) 「市場」の範囲はどこまでか

すべてのポートフォリオの合計としての「市場」を考えるには、あらゆるリスク資産とポートフォリオについて知る必要があります。とはいえ、これは実際には困難です。明示的でわかりやすく、比較的大きな投資先は、株式市場や債券市場ですから、まずは実際に取引されている株式や債券を合計してみることが、市場ポートフォリオを考える出発点となります。

しかしながら、「すべてのポートフォリオ」のひとつとしての自分のポートフォリオに立ち返って考えてみても、投資とリスクはより広範囲に及んでいます。例えば自分自身への教育も、それを投資と考えることは可能でしょう。必ずしも貸借対照表の中に明示的に存在してなくても、リスクとプレミアムはあちこちに隠れています。

あらゆるリスクにかかるプレミアムは、リスクの全体との関係で評価されますが、その「リスクの全体」の概念を近似的に表現するのが、市場ポートフォリオであると考えることで、よりすっきりと枠組みを捉えることができます。はっきりと目に見えていなかったとしても、人類が生産する活動に必然的に伴うリスクで、取引可能なものはすべて「市場ポートフォリオ」を構成するはずと考えるのです。

例えば地震のリスクは、いずれの貸借対照表中にも明示的には存在していませんが、人類が生産する活動と密接に関係しています。実際のところ大きな地震が起きれば、それに伴って生産は停滞し、株価が下落する局面は存在し得るわけです。こうした「避けることのできない」リスクは、リスクの全体を構成するひとつの要素となるはずです。

すべての「避けることのできない」リスクの全体が市場ポートフォリオであり、その単位リスクあたりのプレミアムは、あらゆるリスクの中で最大となります。
posted by equilibrium at 2002-07-01 | [草稿]例題

例題7-2) 通貨が市場ポートフォリオに果たす役割は何か

市場ポートフォリオは世界中のリスク資産から構成されますから、どの通貨の立場から見ても、必ず外国資産と為替リスクを含んでいます。一方で、外国資産の為替リスクは、例えば為替予約によって、その大部分をヘッジすることが可能です。こうして通貨のリスクをあらかじめ交換しておくことは、それぞれの投資家にとって余計なリスクを減じ、ポートフォリオをより効率的なものにします。

欧州では1999年に通貨を統合し、あらかじめすべての通貨のリスクを、域内では「交換済」の状態にしました。交換することによって皆がリスクを避けられるのなら、人類が生産する活動に必然的に伴う「避けることのできない」リスクには、つまり市場ポートフォリオのリスクには、そもそも通貨のリスクは含まれていないはずです。

とはいえ異なる通貨は一般に、地域によって異なる「時間の価格」を表現するための道具です。あらかじめ交換することによって、通貨を統合することによって、これに起因するリスクを一見すべて避けられたように見えても、域内で異なった時間の価格が必要とされたとき、リスクは別の形で実現せざるを得ません。ある地域では金利が高すぎたり、また別の地域では金利が低すぎたりすれば、資金の需要と供給にアンバランスを生じさせます。言い換えれば、市場ポートフォリオの中に存在するであろう「避けることのできない」通貨のリスクは、おそらくこれに似た役割を果たしているはずです。つまり時間の価格が変化することによって、人や物資、資金の流れを調整することです。

複数の通貨の買いと売りを組み合わせることによって、積極的に利益を追求する投資家もいます。そういった通貨の選別には当然リスクが伴いますが、これらも、より適切に交換レートが評価され続けるために「必要なリスク」と考えることもできます。だとすれば、広義の市場ポートフォリオに含まれ、そこにプレミアムがあっても不思議ではありません。実際に、通貨の選別で利益を生み出しているヘッジファンドは多数あると言われています。
posted by equilibrium at 2002-07-02 | [草稿]例題

例題7-3) 市場ポートフォリオのリスク・プレミアムは、何を意味するか

個々のリスクの「単位リスクあたりの」プレミアムに、負担されているリスクの量をそれぞれに掛け合わせ、すべて足し合わせたプレミアムの合計は、リスク資産全体のプレミアムになります。つまり市場ポートフォリオのリスク・プレミアムは、世界中の投資家が負担しているリスクに対する報酬の全体です。

個々のリスクの背景にある個々の経済活動は、互いに交差し時にうねりながら、プレミアムを生み出すべく常に前に進んでいます。すべてのリスク資産への投資を全体として見たとき、貯められた購買力であるところの資金は、生産する活動に必然的に伴う「避けることのできない」リスクを負担し、経済の全体が成長することを後押しします。生み出された利益は、新たな購買力として、投資家へと返される構造になっています。

市場ポートフォリオのリスク・プレミアムが相対的に小さいとき、つまりリスク資産の価格が全体として高いとき、既に多くの投資家がリスクを負担しています。新たにこれを負担することに対する報酬は、相対的に小さい状況です。市場ポートフォリオのリスク・プレミアムが相対的に大きいとき、つまりリスク資産の価格が全体として安いとき、リスクを負担している投資家はあまり多くありません。新たにこれを負担することによる報酬は、相対的に大きい状況です。
posted by equilibrium at 2002-07-03 | [草稿]例題

例題8-1) 選別に際して価格のトレンドを追いかける投資家が増えることによって、何が起きるか

それまでに価格が上昇を続けていれば買う、価格が下落を続けていれば売る、という行動をとる投資家が増えた場合を考えてみます。背景にあるビジネスの将来に期待される利益が増え、あるリスク資産の価格がそれに応じて上昇したとき、特にその理由や価格の水準をあまり顧みず、単に追随的に買いを入れるような投資家が増えれば、リスクやプレミアムの大きさにかかわらず、「上昇してきた」現在までの価格の動きは、その後に慣性のように遺伝することになります。

きっかけとなったリスク資産の価格の動きが、例えば何らかの「修正」であったにせよ、また「間違い」や「ノイズ」であったにせよ、それらがより一層強調され、時に行き過ぎることになれば、これらの行動は全体としての投資を、よりリスキーなものにします。また投資リターンの分布を、裾野を広げたような形に変化させることになります。
posted by equilibrium at 2002-08-01 | [草稿]例題

例題8-2) 選別が効率的に行われるための構造とは、どのようなものか

様々な取引のための仕組みが整備され、情報がより多く提供されていることは、選別が効率的に行われるために大切なことです。

選別は、リスク資産を個別に評価する行動に他なりません。そして評価は、取引が行われることによって価格に反映されます。判断のための情報を入手するコストが小さいことは、選別の効率を高める最も大きな要因のひとつです。リスク資産の多くは背景に調達があり、その向こうにはビジネスがあります。それらがどんな性格を持ち、どんな出来事に左右されるのか、投資家が容易く知ることができれば、選別のリスクをより負担しやすくなります。資金を調達する側から見れば、支払うプレミアムをより小さくすることができるはずです。

また、種類の異なるリスクは互いに分離されていることが、投資家の利便性を高めます。例えば「自動車製造業」と「カードローン」のように、内容や構造の異なるビジネスは、混在しているよりも、分離され個別にリスクを取引できることが望ましい形です。リスクを負担する立場から見れば、「セット販売」は評価が煩雑になります。その価格が表現するものは読み取りにくく、また見通しを表現する手段としての使い勝手もよくありません。

選別には、リスクが伴います。投資家は選別を通じて、背景にあるビジネスを評価するリスクを負担し、社会を方向づけます。将来のすべてを予見することは誰にとっても不可能ですから、リスクをとって選別することは社会全体が成長するために不可欠な活動で、その見返りとしてプレミアムを受け取るわけです。何も考えずに、他人の評価に波乗りしようという都合のいい投資家は、時に選別のリスクにプレミアムを支払うことになります。
posted by equilibrium at 2002-08-02 | [草稿]例題

例題8-3) 投資のリスク・プレミアムと選別のリスク・プレミアムは、どのような関係にあるか

投資のリスクも、選別のリスクも、その単位リスクあたりのプレミアムの大きさはリスクの全体、広義の市場ポートフォリオとの関係で決まります。

投資のリスクにかかるプレミアム = リスクの全体にかかるプレミアム x 投資のリスクとリスクの全体との相関
選別のリスクにかかるプレミアム = リスクの全体にかかるプレミアム x 選別のリスクとリスクの全体との相関

パッシブな投資だけでは個別のリスクを評価することができませんし、アクティブな選別だけではリスクのある調達に対して資金を供給することができません。どちらも生産と成長のために必要なリスクですから、どちらかが消えてなくなったり、その大きさや割合に極端な偏りが生まれたりすることはないと考えてよさそうです。

2007年に起きたサブプライム危機では、米国のある種の住宅ローンに過剰に期待されていたプレミアムが見直される中で、選別のリスク・プレミアムが急拡大しました。つまり多くの選別が、大きな損失を生み出しました。こうした現象は例えば、1998年に起きたヘッジファンド危機など、これまでにも時々起こっています。将来の利益にかかる評価は、投資にとっても選別にとっても大切な要素になりますが、皆が不確実性をより保守的に評価し割り引くことによって、また時に大胆に許容することによって、リスク・プレミアムの大きさは急速に変化します。

投資家の心理が変化することで、あるビジネスにかかるリスク・プレミアムと別のビジネスにかかるリスク・プレミアムの相対的な大きさが急速に変化することがあります。銀行に悲観的になり、製造業に楽観的になり、また輸出に悲観的になり、輸入に楽観的になるといった具合です。投資のリスク・プレミアムと選別のリスク・プレミアムの関係もこれに似て、その相対的な大きさは一般に、時間とともに常に変化します。
posted by equilibrium at 2002-08-03 | [草稿]例題

例題9-1) ヘッジファンドが持つべき投資家にとって利便性の高い性質は何か

どういった類のリスクをとるのか、その性格について明確であること。どのくらいの大きさのリスクをとるのか、その水準について明確であること。取引の流動性がどのくらいあるのか、大まかに把握できること。これらは投資家が自分のポートフォリオを組み立てようとする際に、物事を左右する大切な要素です。タイミングによって多少変わる場合があるにしても、その時々で的確な情報が得られる状態であることは大切です。

主に利益や資産の内容を評価し株式の選別を行うとか、先物と原資産の相対価格を評価するとか、株式への投資と同程度のリスク水準を目指すとか、預かり資産に対して最大でどの程度の大きさの買いや売りの取引を行うとか、ファンドの売買は月に一度とか、とにかく一年間は換金できないとか、投資家はそういった情報を考慮に入れて、ヘッジファンドを含めた自分のポートフォリオを構成するわけです。

選別を「選別」しやすい構造は、投資家にとっての利便性を高めます。また選別のリスクを評価する利便性が高まるほど、社会全体の効率も高まります。
posted by equilibrium at 2002-09-01 | [草稿]例題

例題9-2) ヘッジファンドの隆盛または急速な縮小によってもたらされるものは何か

ヘッジファンドは選別のスペシャリストです。たくさんの資金が流入し、ヘッジファンドの隆盛が見られるときには、選別のリスク・プレミアムは相対的に縮小しており、あらゆるリスクに多くの評価が織り込まれている状況です。一方で、ヘッジファンドが急速に縮小しているときには、選別のリスク・プレミアムは相対的に拡大しており、個別のリスクの評価はやや大雑把に行われている可能性もあります。

選別のリスク・プレミアムの急速な拡大や縮小は、時にリスク評価の風向きを変えてしまいます。「ミスプライス」の所在や量を変えてしまったり、またリスクの全体やリスク同士の関係も変化させます。

例えば「バリューが崩壊」し、投資家の多くがリスク資産を評価する視点を変えれば、企業の資金調達やビジネス戦略にも大きな影響を及ぼします。また金利や為替にかかるコンセンサスの潮流が変われば、中央銀行の仕事にも大きな影響を及ぼします。それらが一時的なものであるか否かの判断は、一般に難しいですが、自身がリスクを評価しようとする際には、周囲の熱狂やパニックに巻き込まれ過ぎないよう意識することは大切です。
posted by equilibrium at 2002-09-02 | [草稿]例題

例題9-3) 選別の「市場ポートフォリオ」を想起してみよ

複数のリスク資産を組み合わせるのと同じように、複数の選別を組み合わせることによってリスクは低減され、ポートフォリオの効率は上がります。だとすれば、どのように選別を組み合わせるべきか。実際に継続的に行われている選別には、それぞれにそれなりの根拠があるはずです。だとすればその平均像、皆が行う選別のリスクを同じように採用することは、ポートフォリオの出発点として、あるいは中立的な参照点として、意味を持つはずです。

もっとも、「広義の」市場ポートフォリオには、投資も選別も「すべてのリスク」の一部として含まれているはずです。投資と選別ですら、組み合わせることによってリスクは低減され、その効率は上がるからです。明確な区別や定義は難しいとはいえ、投資と直交する「選別にかかるリスクの全体」の概念は、実際の自分のポートフォリオを組み立てる際に役に立ちます。例えば、ETFとヘッジファンドを組み合わせたポートフォリオを模索することは、これに似ています。

数あるヘッジファンドの中でも、リスクに対するプレミアムが大きく、また大きな資金を受け入れることのできるものは、幅広く選別のリスクを組み入れているはずです。また同様の構造を、ファンドがさらに複数のファンドを保有するような形態で実現している例もあります。
posted by equilibrium at 2002-09-03 | [草稿]例題

例題10-1) 任意のポートフォリオを、3つのコンポーネントに分けてみよ

どんなポートフォリオでも、その背景にある意図を汲み取りつつ、大雑把に「3つのコンポーネント」に分けることができるはずです。是非あらゆるポートフォリオについて、挑戦してみて下さい。そもそも概念的な色彩の強い話ですから、3つのコンポーネントそれぞれについて細かく定義し、それらに沿って厳密に分解しようとすることは困難です。またそういった細かさは、あまり実際の役にも立ちません。負債の感覚や市場ポートフォリオの感覚、そして選別の感覚を身に付けることによって、世界観を新たにすることが、ここでの目的です。

実際の作業にあたっては、まず考える対象となるポートフォリオの主体について、はっきりとさせておくことが大切です。例えば自分全体や、どこかの会社全体というのは、比較的わかりやすい例でしょうし、それらを複数含む日本全体であるとか、そういった視点も面白いかもしれません。

ポートフォリオの中で、「将来の支払いを意識している」意図が感じられる投資行動は、すべて購買力を担保するコンポーネントに属すると考えます。例えば債券の保有のうちの一部は、金利の変動にかかる負債のリスクを相殺し交換している場合が多いでしょう。LDI(Liability-Driven Investing)と呼ばれるフレームワークは、このコンポーネントの重要性を強調した考え方です。以前は、ALM(Asset-Liability Management)とも呼ばれていました。近年になって取引手段は多様に発達しており、(貸借対照表には記載されない)リスク・プレミアムのみを交換するデリバティブ取引を活用することによって、こうした投資行動をさらに効率的に行うことが可能になり、購買力を担保する手段の主流となりつつあります。

また債券の保有には、リスク・プレミアムを期待するという観点もあるでしょう。しかしその場合には、市場ポートフォリオの一部として保有する状態が基本であるはずです。単位リスクあたりのプレミアムを最大にするのは、市場ポートフォリオだからです。とはいえ主観的な選別の見通しがある場合には、この限りではありません。負債を意識した成分が切り離された残りのポートフォリオから、市場の時価総額に観察される(狭義の)市場ポートフォリオを利用して、こんどは市場の成分(ベータ)を抜き出すことを試みます。残った部分は、選別を表現するコンポーネントと考えることができるでしょう。ポートフォリオ構築におけるBlack-Littermanのフレームワークとは、均衡ポートフォリオを出発点として、主観的な見通しによってアクティブに乖離させる投資行動を、ベイズ統計の言葉を用いて表現したものです。

仮に、購買力を担保する意図や主観的な見通しを表現する意図が明確であったとしても、それらが実際のポートフォリオの形で表現され投資行動に移されたとき、その意図に沿った結果が将来確実に実現される保証などありません。「意図しないリスク」はいつでも、あらゆる場所に隠れており、そのすべてを見つけ出し事前に消し去ることなど不可能です。だからといって悲観的になることはありません。この分解のプロセスにすら、意図しないリスクは隠れていますし、そもそもあらゆる活動に常にリスクがつきまとうのは当然のことです。それらと上手につき合うために、リスクを眺める視点を培うこと、そのための道具を手にすることこそが、ここでの果実なのです。
posted by equilibrium at 2002-10-01 | [草稿]例題

例題10-2) 世の中のすべてのポートフォリオの、3つのコンポーネントそれぞれの和について考えてみよ

世の中のすべての、購買力を担保するポートフォリオの和は、それらがすべて負債を意識したものであるとすれば、世の中のすべての負債の「鏡」のようなものかもしれません。そしておそらく、そのすべての負債は、資金調達としての負債と、それ以外の(将来キャッシュフローの現在価値としての)負債とに、大きく分けられるはずです。債券先物やスワップのようなデリバティブ取引を活用しつつ、将来のキャッシュフローにかかる金利のリスクを交換し購買力を担保しようという行動は、それらがないときに比べて、結果として債券投資にかかるリスク・プレミアムを押し下げることになります。

世の中のすべての、市場ポートフォリオの和は、言うまでもなく市場ポートフォリオです。(取引することが可能な)債券や株式によるすべての資金調達の和は、それらの市場を眺めることによって、その大きさを直接的に観測可能です。そしてそれは、観測の難しい投資対象も含んだ、より大きな「真の」市場ポートフォリオとは何か、という問いに取り組もうとする際にも、その出発点として大きな意味を持つはずです。

世の中のすべての、見通しを表現するポートフォリオの和を、実際に観測することは困難です。そもそも観測される市場ポートフォリオは、すべての「選別」を必然的に含んでおり、その意味ではこれは「卵と鶏」の議論にならざるを得ません。すこし視点を変えると、市場ポートフォリオは貸借対照表の意味で観測されるのに対して、「選別」をリスクの意味で考えることによって、より示唆を含んだ問いが浮かび上がってくるはずです。より多くの、多様な選別にさらされている市場は、おそらく主にその非効率さを理由に、より大きな選別のリスク・プレミアムが期待されているはずです。選別が、見通しが、世の中全体としてどこに向いているのか、今後どこに向いていくのか、といった観点を持つことによって、投資と社会の見方は大きく変わるはずです。
posted by equilibrium at 2002-10-02 | [草稿]例題

例題10-3) すべてのポートフォリオの和としての市場ポートフォリオと、経済のサイクルとの関係について考えてみよ

すべてのポートフォリオの和は、もちろん、すべての資金供給の和であり、またすべてのリスク負担の和でもあります。金利の大きさによって調節される貸借対照表の全体と、リスク・プレミアムの大きさによって調節されるチャレンジの全体は、常に我々が「ほしいものをつくり出す」活動、つまり経済成長の原動力となります。

すべてのポートフォリオの和に思いを馳せるとき、本当の貸借対照表はひとつしかない、と感じられるかもしれません。すべての資源を有効に配分し活用し、時にチャレンジし工夫し皆が助け合い、前に進むこと。すべての貸借対照表を足し合わせた、たったひとつの全体を想起することこそが、経済のサイクルの謎を解くヒントかもしれません。
posted by equilibrium at 2002-10-03 | [草稿]例題
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